2002年3月17日日曜日

1年会

3月17日朝、病み上がりの体に鞭を打ち、 重いショルダーバッグを引きずるように運び、 なんとか僕は上野10時30分発の電車に乗り込んだ。 実は前日前々日と、 バイトを休むほどの高熱を出し家で寝込んでいたほどダウンしていたのである。 それを1年会までには治そうと、 薬を飲みひたすら寝ることにより、 なんとか1年会当日の朝は熱も36度代まで下がりはしたものの、 体にはまだだるさが残っていた。 そんな体調で1年会に臨んだため、 幾分重い荷物を運び、 自宅から上野駅に行き電車に乗る、 というだけでもう僕の体はある程度の疲労感を感じていた。 列車が動き出し、 先頭車両に一人座りしばらくたつと突如ポケットの中のPHSが震え出した。 メールが届いたようである。 差出人は今回の参加者である植物班のT(男)。 「後ろに4人いる」とのこと。 どうやら他のメンバーは列車の最後部に乗っていたようだ。 即座に後ろに行き皆に会いたいのもヤマヤマだったが、 3リットルのソフトドリンクと食料とスキーウェアでパンパンになった荷物は、 まだ熱の下がりきらない僕が最後尾に行くには重すぎた。 しかたなく後ろに行くのを断念した僕は、 しばらく一人で乗っていることにした。 そして高崎駅での乗換時に他の4人(植物T男、植物T女、水棲S、水棲N)との合流に成功。 これで5人である。 今回の参加者は全部で7人。 残りの2人(水棲Y、虫T)は3時間ほど後の電車でくることになったそうだ。 しばらく電車に揺られ、 ようやくT駅に着こうかという頃には、 車窓からの景色はもう銀世界になっていた。 銀、そう、 この銀こそが毎年生物同好会員をして冬に何度も山小屋まで足を運ばせる張本人なのである。
たぶん今回も山小屋までの道は雪で大変なことになっているだろうと踏んだ僕は、 他のメンバーがスパッツをつけたり軽いジャンパーを羽織ったりしている程度なのを尻目に、 1人スキーウェアに身を包みゴーグルまでつけてみた。 しかし実際、道はもうアスファルトが剥き出しになっており、 結局僕の最強装備は無駄な徒労に終わりただムショウに暑く恥ずかしい思いをするだけだった。 深いところは膝ほどまで高さのある雪道を進み20~30分ほどで山小屋に着いた。 山小屋内は、いつも通り静かで、 2週間ほど前に侵入者に荒らされたのは嘘のようだったが、 ドアに打ち付けられたベニヤと新しく取り付けられた内側からの鍵が 静かに事件があった事を物語っていた。 しばらくストーブを囲んでまったりして、 それから1時間ほど雪かきをした。 もう雪もだいぶ溶けて少なくなっていた。 後は放っておいてももう山小屋がつぶれる心配はないだろう、 安心して春の到来を待つばかりである。 雪かきを終えると早速夕食(カレー)作りだ。 調理を始めてしばらくたったころ、 遅い電車に乗ってきたYとTが到着した。 米を何合炊くかで少しもめ、 結局多すぎるのではないかという意見をおしきって10合たいた。 余ったらおにぎりにしようとも言っていたが、 みんな雪かきでお腹が空いていたのだろうか、 結局7人でペロリと平らげてしまった。 食後、今回のメインである1年会を(多少ムリヤリ?)始める。 内容は…まぁいくらかの脱線はあったが、 結局、それぞれ漠然ではあるが自分のやりたい幹事を考えておこう、ということになった。 あとは雑談である。 先輩批評や思い出話など、四方山話に花を咲かせて夜は更けていった。 コレぐらいの人数での山小屋の夜はいつも楽しいものである。 そして翌日、全員午後3時24分T駅発の電車に乗って帰宅し、今回の1年会は終了した。
今回は1年生だけで行った、 飲み会などではない初めての硬派な活動と言えるのではないだろうか。 やはり勝手がわからず四苦八苦したことも多少あったが、 それぞれに良い経験になったと思うし、 なにより自分たちだけで活動することの新鮮な楽しさがあったと思う。 これを機に、 今回の参加者がまた少しでもこのサークルに浸透することができたなら幸いである。
植物班1年K

2002年3月11日月曜日

第五回雪かき

今回で今年の雪かきは終了!! これから大雪が降らなければ後は雪融けを待つばかり。 いやはや、ホッとしてます。 今回は5人くらいでいいやと思っていたので、 人数が確保できた時点で連絡するのを止めてしまった。 今回や、全体を通して行きたかったのに連絡が無かったという人がいたら本当に申し訳ない。 でも、出来る限り多くの人に雪かきを体験してもらえたと自負してます。
第五回雪かき
日程:3月11~13日
参加:F、K、W、T、N(延べ5名)
11日。
 10時半頃。集合場所に向かう途中Tと合流。 発車を待つ電車の中でTに「鉄拳チンミ」のレクチャーを受けた。 なるほど、チンミって…さっそく「月マガ」購入。 そうこうしている内にFさん、Nも合流。A駅からKも合流。 さっそくKにTFT二つ折り携帯を拝ませてもらう。 う…美しい!!心底うらやましい。 (うちの同好会ってカラー液晶の携帯持っている人多くない?) まあ、そんなこんなで、男ばっかり5人、山小屋へ向かう。 目的のT駅に着くと、なにか想像と…あれ? (実はこの雪かきの少し前にちょっとした理由で山小屋に行ってきた。 その時に雪はもう融けかけていて、 副幹事長と「今年はもう雪かきいらないかもね」などと話していたのだ。) 4日前と景色が違う。無情にも新雪が降り積もっていた。
 小屋に向かう途中、冬山登山客に出会う。 登山客にどこに行くのかと聞かれ、そこの山小屋ですと答えると、 「今度泊まらせてくれ」と訳の分からんことを言われる。 Fさんがうまく断ってくれた。 (注:最近、山渓の本に冬山登山の練習場所として山小屋の裏の山が紹介されたため、 今年の冬は登山客が多いらしい。 結構多くの人の目に留まってしまっているので、今後注意が必要かも。) 登山客が山小屋の脇くらいまで道を作ってくれていたので比較的楽に山小屋に到着。
 早速雪かきを始める。 まずは屋根の上に登り念撮。 次は屋根の上を転がり雪を落とす。 この時点では皆に余裕があった。 次にダンプで雪を運び、スコップで雪をかく。 まったくいつものパターンだ。2時から開始し5時半頃。 そろそろ暗くなってきたが屋根の上にはまだまだ雪が。 少しまずいんじゃないかなという雰囲気が。でも本日は終了!!
 晩飯のキムチチゲを作り出す。 Tに「キムチチゲとキムチ鍋の違いは?」などと聞かれるが「知らない」と答えておく。 (確か「チゲ」=「鍋」) 米も上手く炊け、キムチチゲも上手く出来、お食事の時間。 みんなが一杯づつキムチ鍋の具を食うと次の瞬間、その鍋は味噌鍋へと変貌を遂げていた。 いや、世の中には不思議なこともあるものです。
12日
 「男の子トーク」をしながら楽しく雪かき。 (色々と勉強になりました。)やっと屋根の端が出てくる。
 12時半にFさんが学生生活最後の山小屋との別れを告げる。 (お疲れ様でした。ありがとうございました。)
 15時。NとTが帰るため駅に向かう。 この時点でストーブ後ろの窓の側の雪を一掻きもしていなかったのでKと私は居残り決定!!
 16時。Kと買い出しに行くためにT駅に向かうと、向こうから見覚えのある人影が。よく見るとN。 (乗り遅れちゃったのね。)本日2度目の別れを告げY駅に向かう電車に乗る。
13日
 朝起きるとストーブの火はかろうじて点いていた。 とにかく寒い。慌てて薪を放り込むとパチパチ音を立てて炎が強くなる。 ストーブの周りが暖かくなるとやっと周囲を覗う余裕が出てきた。 隣を見るとまだKは眠っていた。すぐ後ろのカーテンを開けると暗い。 時計を見る。もう夜が明けていてもいい時間なのに… 昨夜から降った雪が完全に窓を覆い尽くしていた。
 6時半。Kが起きてきた。昨夜は外食したため洗い物もない。 したがってすぐに雪かきに取り掛かることになる。
 7時。外の気温は-5℃。今日も楽しい一日の始まりだ。
 12時。自分を誉めてやりながら雪かき終了。昼飯はカップ麺。 Kはすでに食欲が無くなっていた。
 15時。山小屋を後にする。
 最後の雪かきは、自分の中で一番大変だったけれど、一番充実した雪かきになった。
山小屋幹事


2002年2月20日水曜日

第4回山小屋雪かき(参加者11名)

2月20日10時半、約束の最後尾の車両に乗っている人は僕と、 植物班班長だけだった。まもなく電車が発車する。 まったく、みんなしょうがないもんだ。 どうせ先頭車両に乗ってるに決まっている。 まあいずれ合流するだろう。 ・・・と思っていたら車窓から景色がこちらに吸い寄せられてくる。 先頭車両に乗っていたお馬鹿ちゃんは僕のほうだったらしい。 まいっちんぐマチコ先生と思いながらも、 電車の重い扉を何十枚も突き破る体力を雪かきにまわしたかった僕は、 このまま班長とのデエトを楽しむことにした。
その後高崎で無事にみんなと合流し、 順調に山小屋のあるT駅へと向かうことが出来た。 今回の電車のアクセスのよさは、ISDNレベルでなかなか快適である。
T駅で下車し、みな駅舎の中でスキーウェアに着替える。 僕のはちなみにスキーウェアの代わりに活動用の雨具である。 ここで僕ははじめてスパッツなるものを着用した。 こいつはなかなか面白おかしいカタチをしとる。WAHAHAHAHA。
第1回目の雪かきのときは駅から山小屋まで2時間もかかったそうだが、 今回はそんなことはなく10分少々で山小屋に到着。 しっかしなんじゃこの雪の量は!? 関東育ちの僕の見てきた雪の量とは次元が違う。 優に東京ドーム18杯分はありそうだ。南無阿弥法蓮華経・・・。
気を取り直してみんな作業に取り掛かる。 スコップで山小屋の周りの雪をかき出し、ママさんダンプでその雪を遠くに運ぶ。 基本はそんな感じだ。が、ときにはわが道を行く人もいる。 昆虫班班長もその一人だ。 彼は春を見たいと言い残し、屋根のそばにひとつの竪穴を掘り出した。 1m、2m、H氏はどんどん深みにはまってゆく・・・(←なんか違う)。 しかしそのとき悲劇が彼を襲った!! 雪崩だ。白い悪魔に襲われた彼の下半身は、もはやどこにも見当たらなかった。
そんなこんなで1日目の作業を終える。 お次は楽しいディナーターイム♪  こんな時てきぱきと食事の用意をはじめる女の人たちはホントえらいと思う。 ここでなぜか水棲班1年のYが布団を敷き本格的に寝始める。 後で聞いた話だが彼はここで後のマージャンのために集中力を充電していたらしい。 たいした男である。晩のメニューはカレーであった。 食べ終わった後キジペでお皿を拭き、毎度のごとくいやな気分になる。 だってさぁ、トイレットペーパーでカレー拭くんだよ!?・・・失礼。
懸案事項だった煙突も比較的簡単に直ったため、 ストーブをたきながら暖かい夜を過ごす。 僕は夜遅くまで起きてはいたが、それなりに睡眠も取れたと思う。 なお火の番をしていた山小屋幹事は、一時間ほどしか寝なかったそうだ。 ご苦労様です。
2日目は、前日手をつけなかった薪部屋側を主に除雪することになった。 2日目ともなると、みんな手際が良くなっている。 ・・・と、しかしここでまたしても異変がっ!! 1日目に春を見るといって雪崩で殉職されたH氏の怨念が、 4人の同好会員に乗り移ったのだ!! かく言う私もその一人であったのだが、 当時の記憶はほとんど残っていない。 ただ、「・・・春が、・・・見たい・・・。」と、 うわごとのように言っていたのを覚えている。 このようなことがあったため、薪部屋側の側面には、 4つの竪穴式住居が出現することとなった。 そしてその4つの穴を1年Yが過呼吸連打なる必殺技でひとつにつなぎ、 おおむね雪かき完成である。 その後もまだしばらく作業は続いていたようだが、 千代の富士のように体力の限界がきていた僕は、 それ以上働きはしなかった。貧弱ですみません・・・。
そして、3時半の電車で元山小屋幹事以外はみな帰り、今回の雪かきは終了となった。
僕にとっては初めての雪かきとなった今回。 確かに体力的には疲れもしたが、非常に楽しく過ごすことが出来た。 ただ働くだけじゃん、とは言い切れない楽しさがあった。 もしこの報告を読んで、 まだ雪かきに行ったことのない人が行ってみようかなという気持ちになれたらいいなと思う。
T(植物班1年の男)

2002年2月3日日曜日

第3回山小屋雪かき(参加者8名)

2月3日、東京は晴れて暖かかった。 私は午前中に中国語の試験があったため、 本隊より遅れて午後1時半上野発の電車で一人山小屋へ向かった。 自身初の雪かきであり、 積雪の様子は経験者から聞いてある程度の認識はあったものの、 普段着で来てしまった私の考えはかなり甘かったようだ。
 やっとの思いで山小屋に辿り着いたが既に午後5時に迫っており、 殆ど働きもせず火の番と夕食の準備をした。 夕食を終えた頃、最終電車で来たHさん、Iさんが到着、 午前2時頃には周囲も寝静まり、 私はIさんと共に火の番をしつつストーブに金網をのせ肉類を焼いて食べた。 至福の時であった。
 夜明け頃に疲れから寝てしまい、 起きると9時半を過ぎており、皆外で雪かきをしていた。 最初私は火の番を命じられたが火が消えない程度に薪をくべて雪かきに加わった。 皆スコップを使いたがっていた。 私も使いたかったが我慢してママさんダンプで働いた。 昼時になり、私とIさんを残して皆小屋の中に入った。 私はここぞとばかりにスコップで雪かきをした。 新たに来たFさんを加えて三人での雪かきが続いた。 だいぶ経って昼食の用意ができたことをHさん(さっきとは別の人)が告げた。 私は手早く昼食を済ませて雪かきを再開した。 Iさん、Fさんは昼食返上で働いた。
 三人になって3時間が過ぎようとしていたが中の人たちは出てこなかった。 業を煮やした私は様子をのぞいてみたが、寝ている人もいた。 恐らく疲れていたのだろう。 その後私は午後4時過ぎまで雪かきをし、 翌日に中国語の試験が控えているため6時台の電車で皆より一足先に東京へ戻った。
 一日にして関東平野に住む人の一生分は雪かきをしたのではなかろうか? それくらい山小屋の雪は凄かったし、雪かきもきつかった。 しかし充実感はあった。 雪かきに参加したことで自然の厳しい表情を垣間見ることができたのではないかと思う。 きついのではあるがまた来たいと思える冬の山小屋であった。
A(昆虫班1年)

2002年1月26日土曜日

第二回雪かき

参加:3年M、
    2年H、W
    1年K、T、T、F、Y
 今回の雪かきは幾分変則的な日程である。 私が最初に予定していた日時は、1月27日(土)28日(日)であった。 しかし、一週間前の時点で、 この雪かきに行けると部室に名前を書いてくれていたのは一年Yの唯一人。 まあ、彼と二人ならば雪の程度によっては何とかなるかなと考えつつも、 色々な人に電話をかけまくる。 いろんな人から「無理!!」との、つれないお言葉をいただく。 まあいいさ。と落ち込みそうなときに、27日に用事があるので、 この日時では行けないが早く入ってやってくれるという3年生のMさんと1年生のKが現われた。 彼らは26日27日と雪かきに入ってくれた。

26日。
 先に山小屋に行った二人が、雪がかなり多いことを教えてくれたので、 急遽、雪かきに行けそうな人間を探し始める。 一文の先輩の一人が試験が終わったと喜んでいたのを思い出し、 一文生に電話を。FやHに電話をすると即快諾。う~ん、幸先が良い。 (まだまだ大変そうな一文生もたくさんおりました。) しかも、昨年落としてしまった物理が、こんな所で生きてきくるとは… ちょっとばかりの悲しみをこらえつつ物理の授業に向かい、 一年生のTとTを口説く。二人が来てくれることとなり、 人間って万事塞翁が馬であることを痛感する。

 新しく誘った人々の都合を聞くと27,28日で行くよりも、 むしろ28,29日で行ったほうがよいことが判明。 早速、日程を変更し山小屋にいるMさんにその旨を告げる。 これで彼らとは完全に入れ違いである。 Mさんはこれが雪かきのラストかもしれないので、 一人でも27日に入ろうかと思ったが、後発隊が全員冬の山小屋未経験者なので、 一緒に行くことに。

28日。
 私とHは始発で山小屋に向かう。 Hと、ゆっくり話すことが出来、 久しぶりに山小屋に向かう電車で有意義と思える時間を過ごす。

 今回は電車が止まっていないことに感謝しつつ向こうの駅に着くと、 見事な雪景色が目に飛び込んでくる。 スキーや温泉にでも行くのであれば素直に感動できる風景だが複雑な気持ちで感動を味わう。 この時、スキー客がTスキー場に向かって待合室を通り過ぎて行った。 バスも外に止まっており、失礼ながらTスキー場って使われているんだなとはじめて実感した。

 駅から小屋への道はMさんやKのおかげでずいぶんと歩きやすくなっていた。 小屋に着きストーブに火をくべ、少しくつろぐとFを駅まで迎えに行くことに。

 Fを駅で出迎えると、駅の外で車がスリップして路肩(?)から道に戻れなくなっていた。 手伝いを請われたので、三人で協力し何とか脱出を成功させる。

 その後、三人で山小屋に行き雪かきを開始。 ダンプがいないので、ただひたすらにスコップで雪を掻く。 天気が良く、スキーウェアの上着などは脱いでしまって、ひたすらに雪を掻いた。

 4時頃になるとFが帰る時間と残りの3人がくる時間の関係のため一旦雪かきを中止し、 Hにはストーブの番を頼んでFと私は駅に。

 駅でFと別れ、来たばかりの三人をつれて小屋に戻ると、 Yは早速雪かきにとりかかった。まったく元気な男である。 …とても助かるけど。Hにお願いをしYに指示を出してもらいながら一緒に雪をかいてもらった。

29日。
 朝9時ごろから雪を掻き始める。

 午前中は山側のほうを重点的に掻き、途中で雪に埋まったり、 埋められたり、埋めたりしながら楽しく雪を掻く。

 午後。昼飯を食い、雪かきを再開しようとしたら、 HとYが二回の男子部屋から飛び降りたいと言い出す。 すぐに許可する。先ずはYが跳ぶ…が、 足から着地し単に雪に埋まった間抜けな人みたいになった。 次にHが。彼はしっかりと雪の上に「大の字」を残した。 彼らを散々笑った後に、いやな予感が。 ひと呼吸おいて、TとTの方を見ると期待の眼差しを向けている彼女らがいた。 「今、部屋着だし…」と抵抗するも、コールをかけられると自然を体が動いてしまい、 私は昼の星となった。

 外から帰ってくるとTが跳びたいと言い出す。 無責任に「跳べ!跳べ!」と囃し立てて跳ばせる。 彼女は跳ぶというより、窓枠に足を滑らせ落ちていった。 もう一人のTはそれを見て怖くなったらしく、 男子部屋からは跳びたくないと言い出した。 そして、よりによって女子部屋からなら跳ぶと言い出した。 (女子部屋の窓から雪までの方が距離があるのに、 なぜ奴は自分から厳しい方を選択してしまうのだろう?) 一度言い出したことなので、彼女には頑張って女子部屋から跳んで頂いた。 なんというか、さすがTとしか言えないのだが、 頭から深く埋まってしまい、バタバタしている姿は、 本人も辛かったであろうが、我々も笑い死にするかと思い大変であった。 結局みんな女子部屋から跳んでいった。

 その後、目標地点まで掘り進み、無事に終了。

 今回は、HとTとTの強烈な個性の前に翻弄される雪かきでした。 二人でやってくれたMさんとKには心から感謝いたします。

2002年1月12日土曜日

第一回雪かき

まず最初に。
雪かきとは我らが愛する山小屋が、 新潟の雪につぶされてしまわないように、 屋根の雪を落としたり、小屋の周りを掘ったり、なべを食ったり、 ストーブ焚いてみたり、終わったらスキーとしてみたり、 雪の中で遊んでみたりと、なかなかハード且つそれなりに楽しい活動のこと。 筋トレやダイエットにもいいらしい。(?)

第一回雪かき
日程:1月13~15日
参加:2年、I、U、K、H、F、M、W
1年、M(延べ8名)

13日。
年末からの大雪のニュースにどきどきしながら年を越したが、 年が明けてからの積雪はあまりたいしたことがないという情報を得て、 かなりお気楽な気分で家を出て山小屋へ向かう。 (11日くらいから降り出したとは聞いてもではたいしたことがないだろうと、 たかをくくっていた。)

今回の雪かきは、テスト直前であり、参加人数は3人の予定であった。 しかし行ってみると、電車は止まっていて、代替バスで行かなくてはならないは、 ヒッチハイクしなくてはならないやら、 新雪のために雪の上を進もうとしても胸までもぐってしまってなかなか進めないはで、 山小屋に着くまでも大変であった。17:00に何とか駅に着き、 そこから山小屋まで2時間かかった。一年生のMはそんな、 下手をすると胸までもぐってしまうような雪の中をさくさくと歩いており、 自分の特技を発見したと喜んでいた。雪の中では絶対に彼に勝てる気がしない。 (わかる人はわかるであろうが、あちらの雪は積もったばかりのときは非常にさらさらで、 軽い感じがする。そんな新雪が80cmほど積もった中を歩いて行くと想像してほしい。 とてもじゃないが彼のように早くは歩けない。)

山小屋に着いてみると、沢側の屋根の雪が地面の雪とくっ付き、 雪の重みで屋根の一部が少しばかり変形していた。 昨年は一月にはほとんど雪はなかったと聞いていたので、 今年は雪が多いと聞いていてもまさかこれほどのものとは想像もしていなかった。 慌てて東京に残っている幹事に連絡をとり、 来てもらえるように要請を送る。屋根はミシミシいっており、その晩は生きた心地がしなかった。

14日。
何とか都合をあわせて幹事が5人ほど駆けつけてきてくれた。 そのうちの2名などは山小屋の中にも入らずに頑張ってくれ、日帰りで帰っていった。 KとFである。二年のMは帰りに駅で寝てしまい、Y駅に出て特急で帰るという荒業を披露してくれた。

5人が駆けつけてくれて非常にはかどったが、終わらなかった。 山側の雪ももう少しかきたいし、谷側の雪には手もつけていなかった。 ただ一日雪をかいた結果として、なかなかに心地のよい疲労感と、 人の力って偉大だなと思わせてくれるような雪の山が残った。

翌週からテスト期間が始まってしまうために次の週末に来るのは非常に難しいと思ったことや、 翌日まで、UとIとHが残るとのことなので私も残ることに決めた。

15日。
小屋を掃除し、11時頃から17時頃まで雪かき。 不満がないではないが十分満足できる雪を掻いて駅に向かう。 駅で待てど暮らせど電車がこない。 Hが駅に備え付けられてある電話でJRを呼び出すと、またまた電車が止まっているとのこと。 …またかと少し怒りが込み上げつつ、言いようのない脱力感に包まれる。 結局JR職員が最寄駅まで迎えに着てくれY駅からの代替バスに乗り帰途についた。

まあ何にしても、今年は雪が多いです。 それも、かなりコンスタントに降ってくれているので、 いつ雪かきに来ていただいても楽しめるかと思います。 ただ、なんとなく、1月と2月と3月の雪では雪の質感が少しずつ違う様です。 是非それを体感していただけることを願っています。