2002年2月20日水曜日

第4回山小屋雪かき(参加者11名)

2月20日10時半、約束の最後尾の車両に乗っている人は僕と、 植物班班長だけだった。まもなく電車が発車する。 まったく、みんなしょうがないもんだ。 どうせ先頭車両に乗ってるに決まっている。 まあいずれ合流するだろう。 ・・・と思っていたら車窓から景色がこちらに吸い寄せられてくる。 先頭車両に乗っていたお馬鹿ちゃんは僕のほうだったらしい。 まいっちんぐマチコ先生と思いながらも、 電車の重い扉を何十枚も突き破る体力を雪かきにまわしたかった僕は、 このまま班長とのデエトを楽しむことにした。
その後高崎で無事にみんなと合流し、 順調に山小屋のあるT駅へと向かうことが出来た。 今回の電車のアクセスのよさは、ISDNレベルでなかなか快適である。
T駅で下車し、みな駅舎の中でスキーウェアに着替える。 僕のはちなみにスキーウェアの代わりに活動用の雨具である。 ここで僕ははじめてスパッツなるものを着用した。 こいつはなかなか面白おかしいカタチをしとる。WAHAHAHAHA。
第1回目の雪かきのときは駅から山小屋まで2時間もかかったそうだが、 今回はそんなことはなく10分少々で山小屋に到着。 しっかしなんじゃこの雪の量は!? 関東育ちの僕の見てきた雪の量とは次元が違う。 優に東京ドーム18杯分はありそうだ。南無阿弥法蓮華経・・・。
気を取り直してみんな作業に取り掛かる。 スコップで山小屋の周りの雪をかき出し、ママさんダンプでその雪を遠くに運ぶ。 基本はそんな感じだ。が、ときにはわが道を行く人もいる。 昆虫班班長もその一人だ。 彼は春を見たいと言い残し、屋根のそばにひとつの竪穴を掘り出した。 1m、2m、H氏はどんどん深みにはまってゆく・・・(←なんか違う)。 しかしそのとき悲劇が彼を襲った!! 雪崩だ。白い悪魔に襲われた彼の下半身は、もはやどこにも見当たらなかった。
そんなこんなで1日目の作業を終える。 お次は楽しいディナーターイム♪  こんな時てきぱきと食事の用意をはじめる女の人たちはホントえらいと思う。 ここでなぜか水棲班1年のYが布団を敷き本格的に寝始める。 後で聞いた話だが彼はここで後のマージャンのために集中力を充電していたらしい。 たいした男である。晩のメニューはカレーであった。 食べ終わった後キジペでお皿を拭き、毎度のごとくいやな気分になる。 だってさぁ、トイレットペーパーでカレー拭くんだよ!?・・・失礼。
懸案事項だった煙突も比較的簡単に直ったため、 ストーブをたきながら暖かい夜を過ごす。 僕は夜遅くまで起きてはいたが、それなりに睡眠も取れたと思う。 なお火の番をしていた山小屋幹事は、一時間ほどしか寝なかったそうだ。 ご苦労様です。
2日目は、前日手をつけなかった薪部屋側を主に除雪することになった。 2日目ともなると、みんな手際が良くなっている。 ・・・と、しかしここでまたしても異変がっ!! 1日目に春を見るといって雪崩で殉職されたH氏の怨念が、 4人の同好会員に乗り移ったのだ!! かく言う私もその一人であったのだが、 当時の記憶はほとんど残っていない。 ただ、「・・・春が、・・・見たい・・・。」と、 うわごとのように言っていたのを覚えている。 このようなことがあったため、薪部屋側の側面には、 4つの竪穴式住居が出現することとなった。 そしてその4つの穴を1年Yが過呼吸連打なる必殺技でひとつにつなぎ、 おおむね雪かき完成である。 その後もまだしばらく作業は続いていたようだが、 千代の富士のように体力の限界がきていた僕は、 それ以上働きはしなかった。貧弱ですみません・・・。
そして、3時半の電車で元山小屋幹事以外はみな帰り、今回の雪かきは終了となった。
僕にとっては初めての雪かきとなった今回。 確かに体力的には疲れもしたが、非常に楽しく過ごすことが出来た。 ただ働くだけじゃん、とは言い切れない楽しさがあった。 もしこの報告を読んで、 まだ雪かきに行ったことのない人が行ってみようかなという気持ちになれたらいいなと思う。
T(植物班1年の男)

2002年2月3日日曜日

第3回山小屋雪かき(参加者8名)

2月3日、東京は晴れて暖かかった。 私は午前中に中国語の試験があったため、 本隊より遅れて午後1時半上野発の電車で一人山小屋へ向かった。 自身初の雪かきであり、 積雪の様子は経験者から聞いてある程度の認識はあったものの、 普段着で来てしまった私の考えはかなり甘かったようだ。
 やっとの思いで山小屋に辿り着いたが既に午後5時に迫っており、 殆ど働きもせず火の番と夕食の準備をした。 夕食を終えた頃、最終電車で来たHさん、Iさんが到着、 午前2時頃には周囲も寝静まり、 私はIさんと共に火の番をしつつストーブに金網をのせ肉類を焼いて食べた。 至福の時であった。
 夜明け頃に疲れから寝てしまい、 起きると9時半を過ぎており、皆外で雪かきをしていた。 最初私は火の番を命じられたが火が消えない程度に薪をくべて雪かきに加わった。 皆スコップを使いたがっていた。 私も使いたかったが我慢してママさんダンプで働いた。 昼時になり、私とIさんを残して皆小屋の中に入った。 私はここぞとばかりにスコップで雪かきをした。 新たに来たFさんを加えて三人での雪かきが続いた。 だいぶ経って昼食の用意ができたことをHさん(さっきとは別の人)が告げた。 私は手早く昼食を済ませて雪かきを再開した。 Iさん、Fさんは昼食返上で働いた。
 三人になって3時間が過ぎようとしていたが中の人たちは出てこなかった。 業を煮やした私は様子をのぞいてみたが、寝ている人もいた。 恐らく疲れていたのだろう。 その後私は午後4時過ぎまで雪かきをし、 翌日に中国語の試験が控えているため6時台の電車で皆より一足先に東京へ戻った。
 一日にして関東平野に住む人の一生分は雪かきをしたのではなかろうか? それくらい山小屋の雪は凄かったし、雪かきもきつかった。 しかし充実感はあった。 雪かきに参加したことで自然の厳しい表情を垣間見ることができたのではないかと思う。 きついのではあるがまた来たいと思える冬の山小屋であった。
A(昆虫班1年)